February 29, 2008

国をまたぐ引越の費用

皆さんは国をまたぐ引越(海外引越)の費用がどれくらい掛かるかご存じでしょうか? 日系企業にいてマレーシアに駐在した時は全額会社持ちなので、着任時・帰任時とも気にしませんでしたが(笑)、日系企業を離れ台湾企業に入った時から、これらの費用がとっても高いことを思い知らされました。因みに、今回、香港から日本に帰還する際の引越代は日本円で約60万円(船便が約45万円、航空便が約15万円)。いわゆる「楽々パック」とはいえ、軽自動車が買えちゃう値段ですよね。ちなみに、全額自己負担。ホント、我が家は引越貧乏です(汗)。

日本から台湾に渡る時は、上限があったものの台湾L社がサポートしてくれました。もっとも、準備が悪くて航空便に回すものが多くなり、船便は予算内だったのに航空便が大幅にオーバーし(会社の規定で、船便の浮いた分を航空便にはあてがえない)、20万くらい払ったような気がします。

また、台湾から香港に引っ越す時は、全額自腹は覚悟だったのですが、香港の住まいが会社契約だったのにも関わらず不動産への仲介料を払うように言われたので、「台湾から香港に来る引っ越し代でもこんなに掛かっているのに(約50万円)、更に不動産屋への仲介料も払えと言うのか。会社を変わるのに、こんなに費用が掛かるとは思ってもみなかった!(英語でです)」と、人事部長宛、会長CCで入れたところ、仲介料は自分で払うことになったものの、引っ越し代に関しては、費用の半分(但し上限は2万HKドルまで)まで会社が補助してくれることになり、結果的に、お金が戻ってきました(仲介料よりも引っ越し代の50%の方が高かったので)。これは会長の配慮だったのですが、言ってみるものですね。

ところで、引っ越し代の見積は日系2社からとりましたが、大差はないと思いきや、なんと、15万円以上の開きがありました。実は最初に見積もりしたA社(イニシャルを記しちゃうと特定出来ちゃうので、A社、B社にします)の値段が高いと思ったので、運輸系の方が国を跨ぐ時には安いのではと思ってB社で見積もりしたら、こっちの方が全然高い。前者は韓国系の人が一人で見積に来ましたが、B社は日本人が二人も来たそうです。同じ日系でも人件費(給料ベース)が違うのでしょうね。B社も「もし弊社よりも安いところがあったら、それに負けないように勉強しますよ」と言ったそうですが、逆に、こんなに開きがあるのにもし同じになったとしたら、もっと腹立たしいですね。皆さんも、自腹で引っ越しする時は、相見積もりした方がいいですよ。



22:22:00 | tom | comments(6) | TrackBacks

February 28, 2008

嘘はついていません

さて、結果的にまた転職することになりましたが、実は私の両親は、私が日本で勤務していた会社の社員のまま、台湾→広州→香港(&東莞)に異動になったと思っています。どうしてかというと、言ってないから(笑)。

その会社の従業員としてマレーシアから帰任し、4ヵ月後に台湾の会社に転職したわけですが、その時には「今度、台湾に行くことになった」とは言ったものの、「転職する」とは言っていないのです。理由は、余計な心配掛けたくなかったのと、長男でありながら自分の意思で日本を離れて異国企業に属するというのを、気持ちよく思ってくれるとは思わなかったから。物理的には、二人の妹達が実家からクルマで10分以内のところに嫁いでいったので心配は要らないのですが、心情的には良い気持ちはしないでしょう。

ということで、この7年間、ずっとS社の社員として海外を転々としていると思っていた両親ですが、今度私が入る会社は、S社の関連企業(私が在籍していた時と全く同じ事業部なのですが、その後、S社から独立して別会社になりました。名前には、まだSがついていますが)で、事実上、出戻りなので、両親に知らせないまま、見事、Sに戻ったことになります(爆)。私の人生、過去にもこんな事が何度かありましたね・・・。結果オーライ。

この間、ばれそうになったことは無かったのかというと、一度だけ、そうなりそうな事がありました。私が台湾L社の社員として広州にいたときは日本のJ社と合弁の会社に在籍していたのですが、その時に家族(家内+子供達)と家内の妹と母、そして私の母親も広州に遊びに来たので、工場に連れてきて見学させました。その時に、社長さんに(J社から派遣されてきた、もちろん日本人)、「すごいですね〜Sさんは。こんなに大きな工場作って」とのたまったのです。。。でも、社長さんは「ええ」とニコニコしながら返答しただけなので事なきを得ました。。。実はこれ、私が社長さんと、同じくJ社から来た部長さんに背景を話し、事前に「・・・ということなので、もしかしたら頓珍漢なことを言い出すかも知れませんが、その時はご容赦願います」と伝えていたからなのです。

また、「でも、これだけブログやWEBで真実を綴っているので、妹さんや近所の人たち、誰か見つけて両親に話しているんじゃないの?」と思われるかも知れませんが、なんと、私がこんなにネット&電脳人間なのに、親族達は疎い人ばかりなのです。実は、一人だけ、9人兄弟姉妹の親父の妹(私にとっては叔母さんで、叔母さんたちの中では私が一番仲が良かった人)の娘(私にとっては従姉妹で、年が同じ)が見つけ、「兄貴達は知ってるのか?」との問い合わせがメールで来たので、背景を説明し、「出来れば黙っていて欲しい」と伝えました。2年位前かな。。。

ということで、この衝撃の事実は、このまま両親に知られる事無く、闇に葬られるでしょう(笑)。でも、決して嘘は言っていないですよね。ただ、話していないだけですから(爆)。


23:30:00 | tom | comments(2) | TrackBacks

February 27, 2008

食中毒事件

天洋食品の冷凍餃子食中毒事件は、真の原因が究明出来ないまま、最近では報道される機会もどんどん減り、そのうち忘れ去られてしまうのではと危惧いたしますが、その中国で、63人が食中毒で、2人が死亡するという事件が23日に起きました。

アサヒコムのニュースによると、「中国広東省深セン市で23日、自動車部品や電子部品などをつくる大型工場の従業員63人が近くの食堂で朝食をとった直後にめまいや腹痛、けいれんなどを訴えて病院に運ばれ、2人が死亡した。市当局が食堂の水や食品から亜硝酸塩の成分を検出したという。従業員らは揚げ豆腐、ナスやピーマンなどを使った料理を食べた。食堂は無許可営業で2月上旬の春節前に営業停止処分になったが、勝手に営業を再開していたという。」とのこと。

もっと詳細の記事は、ここを参考に願います。

日本の一連の報道を聞いていて、「食中毒は当たるも八卦当たらぬも八卦、中国であんなに気にしていたら、食べるものが無くなっちゃう」と高を括っていましたが、けっこう近いところでこのような事件が発生すると、ちょっと警戒したくなりますね。とはいうものの、見てわかるものでもないし、口に含んで味がおかしいとおもったら、すぐに吐き出して食べるのを止めるくらいしか出来ませんが。。。香港のナッツフォードテラスで生ビールであたった経験(味がおかしいと思ったのですが、そのまま飲み干したら、夜から過去最高の下痢に見舞われました。同じモノを家族も食べ、違いはそのビールだけだった)からは、店の外観や客層で判断するのも限界がありますし。

一方で、日本では、毎日のように「●●から農薬が○○ppm検出された」との報道が続いて(アメリカで騒ぎになったオモチャの鉛の件と一緒で、検査しだしたら際限がなくなりそう)、健康に被害を及ぼす量からは遙かに少ないとはいえ、不安から買い控えが起き、また、輸入時の検査を強化するとの動きもありますが、検査施設のキャパにも限界があるので、必要な準備を施さずに検査強化だけ唱うと、市場に供給出来る量が減り、建築基準法強化後に建築不況が、また、消費者金融規制強化後の不況(特に、パチンコ業?)と同じように、国全体が不況になる一因にもなりかねないので、場当たり的な施策をして欲しくないものです。


23:28:00 | tom | comments(4) | TrackBacks

February 26, 2008

母校がマレーシアに進出

最近はスポーツ関係でもパッとしない我が母校ですが、初の海外事務所がマレーシアとは、何やら縁がありますね。これまで、日本以外では、マレーシア(ペナン、クアラルンプール)、台湾(台北)、香港、中国(広州、東莞)と住んできましたが、未だに一番好きな場所はマレーシア(ペナンとクアラルンプール、甲乙つけがたい)です。安全、英語が通じる、1年中温暖な気候、食の宝庫、人々が温かい、そして物価がとても安い(感覚では、日本の1/3)。

母校といえば、私が在学中に六大学野球で優勝して提灯行列に連れて行ってくれた時の原動力である元ヤクルト→巨人→阪神の広沢が、中国の足裏マッサージ屋で見たNHKのニュースに出てきました。スポーツコーナーだったのですが、いつのまにか阪神の打撃コーチになっていたのですね。広沢の打撃コーチ姿、、、似合わない(爆)。

話を戻して・・・NNAのニュースは翌日になるとアクセス出来なくなるので、以下に転載します。

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【明治大が初の海外事務所、中東への窓口に】

明治大学が今年4月をめどに、マレーシア工科大学(UTM)内にマレーシア事務所を開設する。中邨章副学長は25日、NNAの取材に応じ、「3月初めにも調査団を派遣し、詳細を煮詰める」と述べた。研究・教育・産学官連携でUTMと協力し、東南アジアから中東地域に及ぶ国際交流の窓口にする。明治大にとっては海外初の事務所となり、マレーシアでの日本の大学の拠点としても初めての事例になる。

明治大は昨年末、UTM(本校・ジョホール州)のクアラルンプール・キャンパス内に「明治大学マレーシア・サテライト・オフィス」のスペースを確保した。4月をめどに現地職員1人のほか、日本から派遣する専任職員1〜2人でスタートする予定だ。

納谷廣美学長や理工学部の教員らがUTMとの深いパイプを持っていることから、今回の提携を決めた。

産学官連携ではまず、明治大の技術研究、数件を英訳し、教員3人程度を派遣して現地企業向けの説明会を開く。ロボティクス、バイオマス、情報技術(IT)、機械などに強いマレーシア工科大の研究状況も把握する。

明治大はこれまで、UTMの留学生を理工学部で多く受け入れてきたほか、マレーシア政府職員の人材研修を大学院で行ってきた。大学院の修了生で、国防省や財務省、会計検査院など行政機関の高官になった事例もある。

今後は日本からマレーシアに留学生を派遣する構想がある。英語で授業を行い、英米やカナダなどに比べて留学費用が安いUTMのメリットを明治大は生かしたい考えだ。

海外初の事務所をマレーシアに設ける点について中邨副学長は「これまで日本の大学は欧米に目が向いていたが、現在、アラブやイスラム諸国が重要になりつつある」と述べたほか、これまで培った人脈を生かす考えも示した。

明治大はマハティール前首相、アブドラ首相に名誉博士号を授与。中邨副学長も職員研修への貢献が認められ、昨年10月、在日本マレーシア大使館を通じて「ジョハン・マンク・ネガラ(JMN)」の勲位を受けた経緯がある。

日本の大学では、早稲田大学が系属高校をシンガポールに持つなど、海外拠点の拡充が進んでいる。



19:05:00 | tom | comments(6) | TrackBacks

February 25, 2008

My new direction

Dear Professor XXXXX,

I regret that I must leave ABC and my last day is on 31st March 2008. I can't thank you enough for providing me with a lot of opportunities, not only to work in ABC but also communicate with publics such as universities, HKPC, HKEIA as well.

Actually I spent for long time to come this conclusion since I still wanted to work in ABC more. However my family issue should be the most important, so finally I made this conclusion. Frankly speaking I should tell you this by face to face but e-mail can make me to describe logically, please forgive me to write it down by e-mail first.

Here is the back ground for your reference.

My son goes on to high school in next year but HK has no Japanese high school. We sought the possibility whether he goes on to international school in HK but it's quite difficult by his English capability. So he must go back to Japan and the timing should be end of this March due to the timing of Japanese school term (from April to March) as well as he needs at least one year preparation for the admissions exam test in early next year. Under this situation my wife has to take care for his life in Japan, so it's no choice my family (wife, son and daughter) goes back to Japan in this March.

During this complication, one of XYZ Group Company asked me to join and this was timely "heaven-sent" offer for me to stay with my family in Japan. So I will be returned to XYZ Group Company from this April. This company has much relation to overseas operation especially in South East Asia as well as in China. I expect that I still have a lot of opportunity to come to China and may
be come to ABC, too, even though after leaving ABC.

Actually my direct boss YYYY-san has already known my decision and understood my situation. I hope Professor XXXXX also would understand and accept my decision.

In order to continue many innovations in ABC, I have to find out my successor as soon as possible and handover all of my jobs to him until my last day. So I informed Professor in advance now but my official resignation letter will be submitted to HR thru YYYY-san on 11th Feb.

I have still two months to go but I would like to say thank you very much for your direction and guidance for me till now. I appreciate it so much and I'll never forget my staying in ABC. I may come back to ABC in future after my 2nd time graduation from XYZ, if ABC still needs me then.

Respectfully yours,

1月末に会長宛に送ったメールです。
12年ぶりに日本に(日本人に?)戻ります。


19:16:58 | tom | comments(16) | TrackBacks