March 13, 2019

私とF1

その昔、私が小学校高学年の時(1976年)に富士スピードウェイで『F1世界選手権イン・ジャパン』が開催され、翌年に『アローエンブレム グランプリの鷹』が放映されていた時が私にとっての"第1次F1ブーム"で、当時のスーパーカー・ブームとも重なっていたので、フェラーリ512BBランボルギーニ・カウンタックLP500、そしてF1カーのフェラーリ312Tや6輪のティレルP34のプラモデルを組み立ててました。

その後スーパーカーブームも一段落し、F1世界選手権も日本で暫く開催されなくなり、私の関心がオーディオに移った中学校3年の時から(いわゆるオーディオブーム)は暫くF1には関心が無くなっていましたが、自分が運転免許を取ってクルマを運転するようになった19歳の時(1984年)、前年に第2期としてF1に復帰したホンダが第9戦のアメリカGPで初勝利をあげ、私のF1への関心が再び上昇しました。

そして私が大学3年だった1985年にはキヤノンがメインスポンサーになったウイリアムズ・ホンダナイジェル・マンセルでシーズン最後に3連勝を飾り、1986年にネルソン・ピケとマンセルでコンストラクターズ・タイトルを獲り、1987年に中嶋悟ロータス・ホンダから日本人初のフル参戦を果たした時には、私の中で完全に"第2次F1ブーム"が来ていました。

そんな時期に就職活動をしたので、入りたい会社としてクルマ関連の企業が大きな存在となりました。ちなみに私の最初の愛車は三菱のコルディア、そして途中で乗り換えたのがトヨタのスターレットであり、どちらかというとホンダは「シビックがオジさん臭くてダサい!」というイメージでした。

一方で、2代目プレリュードでホンダもスタイリッシュなクルマを出し始め、ホンダエンジンがF1世界選手権で勝ち始めた頃にはイメージも大きく変わり、バブル絶頂期で超売り手市場だったことから私の大学にも結構な人数の募集がホンダからもあり、結果的に筆記試験と適性検査、そして面接1回しただけでホンダ(本田技研工業)に就職することになりました。私の記憶に間違いがなければ、GW明けくらいには決まっていたような気がします。

そして就職した1987年に4WSを搭載した3代目プレリュードが発売され私も乗りましたが、この年には昨年に続いてウイリアムズ・ホンダがコンストラクターズ・タイトルを取り、ネルソン・ピケがドライバーズ・タイトルを獲得しました。更に翌1988年にはマクラーレン・ホンダMP4/4が16戦中15勝と圧勝し、アイルトン・セナがドライバーズ・タイトルを獲得しました。

私も含めた当時のホンダの社員には、ホンダエンジン搭載車が優勝するたびに記念のステッカー(直径5cm程度)が配られましたが、1988年の最後には15枚がセットになったステッカーも配られましたよ。そして1989年にはアラン・プロストが、1990年にはセナが再びチャンピオンに輝くなど、コンストラクター・タイトルは6年連続、ドライバーズ・タイトルは5年連続でホンダエンジン搭載車が獲得し、まさに"ホンダF1の絶頂期"でした。フジテレビでも地上波でF1が全戦中継され、"音速の貴公子"アイルトン・セナの人気と共に1980年代後半から1990年代前半にかけては、私だけでなく日本中がF1ブームでしたよね。 

そんな絶頂期もバブル崩壊と共に崩れ、1992年にホンダが第2期F1活動を終了することになってからは、ワークスではなく無限ブランドとしてF1には参戦していたものの、私の中でもF1への関心は徐々に下がり、1994年にウィリアムズ・ルノーへ移籍したセナが同年の第3戦サンマリノGPで事故死してからは、そのショックと共にF1をTVでも観戦しなくなってしまいました。

そして1996年にマレーシアに住むようになってからはF1のニュースも殆ど耳に入ってこなくなり、関心も全く無くなっていたのですが、1998年に第2子が生まれる時には、男の子が生まれても女の子が生まれても「セナ」という名前をつけようと考え、当時開設していたマレーシア関連のホームページで名前の漢字を公募したりもしましたよ。結果的に女の子が生まれ、Hさんが提案してくれた『星奈』という漢字を選び、「女の子なので、間を伸ばしてセーナ(せいな)にした方が女の子らしい響きかな」とも思って、星奈の名前が決まったのです(笑)。

そんな中、1999年にマレーシアでもF1グランプリが開催されるようになった時には、日本よりもチケットが取りやすくセパン・インターナショナル・サーキットへも比較的近かったので、翌2000年も合わせてサーキットで2回生観戦したのが私のF1生観戦の歴史です。実は私の"第2次F1ブーム"の時も、そしてホンダに在籍していた時も生観戦はしていなかったのです。言い換えると、日本ではまだ一度もF1をサーキットで生観戦したこと無いのです(汗)。

それ以降は台湾企業、香港企業に入社して現地に住み、私の関心は中国の製造業、中国語の勉強、中国での生活になっていたのと、2000年にB・A・Rへエンジン供給と車体の共同開発を行うという形でF1にホンダが復帰して第3期となったものの、鳴かず飛ばずで上位に入ることは殆どなかったので関心は全く湧きませんでした。

そして2015年からの第4期でも同様だったのですが、先週の土曜日に神宮外苑いちょう並木のデモ走行を観て、帰りに本田本社の前を通り1階の「Honda ウエルカムプラザ青山」で歴代のホンダRA272ウイリアムズ・ホンダ FW09ホンダRA106(2006年)、そしてレッドブル・トロロッソ・ホンダSTR13を眺めていたら、久し振りに関心が湧いてきました。

改めて調べてみると、昨年はスクーデリア・トロ・ロッソと組んで良いところを見せていたし、その親チームであるレッドブル・レーシングにも今年からエンジンを供給しても良いパフォーマンスを見せかけているので、今年はF1も気にしてみようかと思っています。「日本ではまだ一度もサーキットで生観戦したこと無い」と前述しましたが、活躍具合によっては今年は鈴鹿のレースも初めて観戦してみようかな。TV観戦では伝わってこないF1モンスターマシーンの爆音を聴いてみたくなりましたからね。

ということで、今日も長くなった・・・(笑)


Posted by tom at 10:38 P | from category: 生活情報 | TrackBacks
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